「数寄屋造りの家」と聞くとちょっとあこがれますよね。純和風の高級住宅なイメージがあります。
数寄屋造り(すきやづくり)とは、安土桃山時代から江戸時代にかけて完成された建築様式です。
その昔、平安時代に貴族たちによって寝殿造りが隆盛をきわめました。やがて室町時代になり武家社会となっていくと書院をもつ建物を中心とする書院造りが確立されていきました。
書院造りは序列や格式を維持する役割も持っていて、床の間、書院、違い棚など厳格な様式が決まっていました。武家は自らの権力を示す意味もあり様式にこだわりつつ豪華な装飾がほどこされた建物を建てていくようになります。
そんな中で、茶の湯の流行とともに台頭してきた茶人たちが、その美意識により建築様式にも変化が与えることになっていったのです。
茶の湯はただお茶を飲むというだけではなく、洗練させた美的生活スタイルそのもので、日本の侘び寂びの心の原点となったものです。当時の茶人たちは美を追求する一流の芸術家でもありました。
それまでの形式にこだわった、また無駄な装飾をほどこした書院造を嫌い、茶室を中心とした様式にこだわらないシンプルな美を追求し出来上がったのが数奇屋作りです。
数寄屋造りは千利休によって完成されたといわれています。
特徴としては、それまでの角ばった柱から、あえて皮のついた丸い木材を使った柱、曲がった柱など使い自然の野趣を残しつつ、長押の省略、質素な床の間と余分な装飾を配し、室内に深い陰影と静謐をもたらす長い庇などがあげられます。
まさに日本の美の真髄ともいえる建築様式でした。
数寄屋造りは、あまり最近のお宅では見かけませんが、古くからの邸宅、和風旅館などでその片鱗を見ることができます。
高級住宅である必要はなく、詫び寂びの精神をとりいれた様式美のある建物を数奇屋作りというわけです。(細部までこだわって建築すると結果、高価になってしまうかもしれませんが)
代表的な数寄屋造りの建築物は、 桂離宮新書院、 修学院離宮 伏見稲荷大社御茶屋(重要文化財)などがあります。
こういった建築物をときには見て、古人の美意識を学び数寄屋造りまでとはいかなくても、生活の一部に日本の美意識をとりいれてみたいものです。